十五郎穴古墳群の古代ロマンに浸る [歴史・レトロ・旅行]
最新の市報1〜2面は、通称「十五郎穴古墳群」が国指定史跡内定の特集記事で埋め尽くされておりました。こんなにも凄い古墳群なのに、まだ国指定になってなかったんですねえ。
ここにはもう何度も通いましたが、今回のホットなニュースで、埋蔵文化財センターでは当然何らかの催しをやっているのでは?と訪れてみると、やはり〜こんな特別展示が!!
この古墳群の凄さは東日本最大級を誇る古墳の数(現在までの確認数;524基)だけでなく、その後の大規模な発掘調査で新たな横穴墓(35号墓)から、正倉院宝物と同型の太刀「蕨手刀(わらびてとう)」や「刀子(とうす)」などが発見され俄然脚光を浴びました。この地には大和朝廷から一目置かれるほどの実力者がいたのですねえ。これを伝える新聞紙面には興奮気味な関係者のコメントが!!これらの調査結果を踏まえ、今回国指定史跡に答申されました。(正式認可は来春の予定)
こちらが、35号墓発掘時の「装飾鉄剣(蕨手刀)」などの貴重な副葬品発見時の写真です。長い年月を経ているので錆びてはいますが、ただならぬ風格を感じます!普段は非公開ですが、特別展示期間中(1月28日まで)に限り同センターで貴重な実物とガラス越しで対面できます。
埋蔵文化財センターで予備知識を得たら、いよいよ「十五朗穴」へ向かいます。
昼なお暗き雑木に覆われた未舗装の急な小道を下っていくと・・
坂を下り切った付近には、トタン塀で厳重に囲まれたエリアが!? これがお宝の鉄剣が発見された「35号墓」。私はかつて同センターの歴史講座に参加した際、幸運にも講師の案内で、開口している「35号墓」を見学できました。以前は古墳の前に民家があったため発掘が遅れたそうな。その後地盤が軟弱と分かり、保存も兼ねて立ち入り禁止になったものです。
いよいよ県指定史跡エリアに到着。この辺りは江戸時代の頃から、無数の横穴墓が剥き出しになっている異様な光景が知られています。さらにこの崖の上には、彩色壁画を有する盟主「虎塚古墳」が鎮座しており、古代にはこの一帯にどんな人たちが何の目的で居住していたのやら? いつ来ても古代ロマンを感じずにはおられません。
どなたかが「この辺りはまるで「ひたちなかの『王家の谷』みたい」な〜んて呟いていたのを思い出します。若い頃は好奇心に駆られ、墓穴の中までよじ登って探検したものですが、今じゃ〜筋力低下で眺めるだけとは情けなや。
ふと思い出して、F0サイズの小さなスケッチブックを捲ってみたら〜ありました。日付は2008年5月。私ゃ〜当時から古墳マニアだったんですね。
振り向けば〜目の前には田園が広がり、その先には北関東自動車道が。古代人はこの景色をどんな思いで眺めていたことやら・・・?
因みに県内の国指定史跡は現在33個所あり、市内では「馬渡埴輪製作遺跡」(昭和44年指定)、「虎塚古墳」(昭和49年)のみ。今回の十五朗穴が県内34番目(市内では3番目)となります。
2023-10-31 12:27
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コメント(4)
色々出てくるのが常陸ですね。昔読んだ本で、前方後円墳や方墳、円墳の分布をみていると、常陸の方面には、早い時期から海側から西のほうの方々が来ていたようですね。最初に名古屋地方の方々、次に奈良方面の方々が来たと。ロマンあふれる話です。発掘がもっと進むといいですね。
by kincyan (2023-11-03 18:10)
kincyanさん
当時、常陸は大和国エリアの北境の地で、北の大国・日高見国と対峙していたそうな。十五郎横穴墓群のある一帯には、国境警備隊として九州から優秀な軍団や技術者たちが送り込まれていたようです。彩色古墳の分布は九州中部がメイン。何故かずっと飛んで茨城と福島にも分布しているのです。なので虎塚古墳を築いた人達のルーツは九州だったと推定されます。それにしても彼らはその後、役目を終えて故郷に戻ったのでしょうか? 因みに虎塚古墳の近くには部田野(へたの)という集落があり、かつては秦野(はたの)と称されていて、謎の渡来民族・秦氏がすんでいたと郷土史には記載されております。そんな訳で我が町には歴史ロマンが溢れています。つい気合いが入って長くなってしまいました。
by sonochan (2023-11-04 08:54)
10/28の日立世界ふしき発見でガザフスタンと日本が繋がりあるミステリーを紹介していましたね。秦氏と関係ありますかねー⁈
by buchi (2023-11-04 14:00)
buchiさんも、古代史には好奇心をそそられますよね。
交通手段の乏しい古代でも、中東からはるばる馬やラクダ、船などを利用して、実に多くの人やモノ、宗教までもが、東の果て日本まで来ていたのは事実です。(記紀にも来日した外国人の名前が漢字による音読みで記録あり)
ふしぎ発見で取り上げられた”カザブスタン製青ガラスビーズ”もその一例ですが、日本国の成立に深く関わったのは、質量共に”秦一族”かと思います。
by sonochan (2023-11-04 20:50)